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1泊2日弾丸関ケ原の旅②

から引き続き、
今回も食と栄養の話はありません。

彦根にある佐和山城跡近くに泊まった朝。
興奮しすぎて夜は眠れず、朝は4時半に目が覚めるしまつ。

仕方ないので早朝ドライブ。
三成マンホールを探したり、、

姉川古戦場跡(織田vs浅井・朝倉)を眺めたり、
賤ケ岳はちょっと遠くて行けませんでした。

近畿&中部地方って、本当に戦国にあふれてる!

今日はひたすら、三成めぐりです。
まずは、佐和山に登る!
佐和山城跡を見る!

龍潭寺という、彦根城主である井伊家ゆかりのお寺が出発点。

佐和山城って、どこが大手門だったか、
イマイチわからないのです。

関ケ原後、徳川によって徹底的に破壊されているので(破城)、
本当にほとんど、何も残っていない。
いろいろ調べてみましたが、
こちら(琵琶湖側)が大手門とする説もありますし、
反対側(鳥居本側)の説もあります。
よくわかりません。


この龍潭寺、井伊家の菩提寺ですが、
井伊直政だっけ?
関ケ原後、こちらで三成を弔ったようで、
三成の供養碑があります。

ちなみに、隣にある清凉寺は、島左近の住宅跡。

とても気持ちのいいお寺なのですが、
入口すぐから、サルの群れがお出迎えしてくれます。
危害は加えなさそうだけど・・・

200数十メートルの山なので、舐めていましたが、
佐和山登山、結構きついです。
危ないので、後期高齢者の母は、車で待機。
途中、ものすごく急だし、道幅が狭く、すぐ下は崖、という感じ。
土が乾燥しすぎて滑るので、高いとこ苦手な私は恐ろしかった💦

尾根沿いは両側崖だし、
サルがすぐ近くでキーキー鳴いてるし、
山には誰もいないし(頂上で一人だけ、会った)
怖いよう・・・

尾根は両側崖なんですよ

↑シロウトには、ただのちょっとした窪みにしか見えません。

怖いよ怖いよと思いながら頑張って登り、
やっと頂上、佐和山城跡へ!!!!

狭っっ!!!

こんなところに、本当に五重の天守があったの?!
山城シロウトには、よくわかりませんが、
あったのだそうです。

山城ってすごいですよね。
あんな急な傾斜を、石垣用の石や木材を運ぶんですから。

熊本人にとっては、城って熊本城がスタンダード。
戦国の城と、関ケ原後の城は、目的も形も全然違いますね。


光って映ってなかったけど、
はるか下に、彦根市街と彦根城がはっきりと見えます。

西には琵琶湖。
その向こうにはかすかに湖西の山々が見えます。

三成公も、同じ景色を眺めたのでしょう。

石垣が、たった2つだけ残されているのみ。
関ケ原後に彦根城が建てられたときに、使われたと聞いています。


ここ佐和山は、重要な土地だったようです。
佐和山城跡を見たい!という夢が叶いました。感無量。

その後、北へ向かい、三成くんのルーツを探る旅。

初めて見る琵琶湖は、広すぎて「海」でした。。。

三成と秀吉が初めて出会ったとされる、
米原市にある大原観音寺。
三献の茶の話で有名な場所。
こちらで奉公中に、
長浜城主になった秀吉が鷹狩に来た時に出会いました。

1200年代にこちらに移されたと書いてあったので、
もっと古いんですよね。立派なお寺です。

渡り廊下、的な。

ここで、水を汲んで、秀吉にお茶を出した三成くん。

「こいつ、めっちゃ気が利くぅ~」って感じだったのでしょうか。

長浜市の石田町、三成くん生誕の地へ。

こういうのはとりあえず入っておきます。
若々しい三成君。
なんかおじいちゃんっぽい三成君。

三成くんが育った家の跡の東には、
伊吹山がそびえていました。

関ケ原敗戦後、伊吹山に逃げました。
立て直しを図るはずでしたが、
いろいろあって結局、田中吉政に捕らえられ、
三条河原で斬首。

捕まってから処刑されるまでの三成の最後には、
いろいろな逸話が残っていて、
どれも胸を打たれます。

今の価値観で、戦国を語ることはできませんが、
それでもやはり、
秀吉没後、
秀吉の恩をたくさん受けたはずの多くの武将たちが家康になびき、
裏切る中、
最後まで秀吉、秀頼のために戦ったみつなり君。
単純に、感動しますよねー

でも、戦いのたびに、庶民は悲惨です。
田畑は踏み荒らされ、
家には火をかけられ・・・(T_T)

みつなり君に興味が出た方は、
ぜひ、滋賀県が作ったこちらのCMをご覧ください。

もっと好きになると思います。

第一弾
https://www.youtube.com/watch?v=qssGBAH533w

第二弾
https://www.youtube.com/watch?v=yAaNoci3_FQ

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