①から引き続き、
今回も食と栄養の話はありません。
彦根にある佐和山城跡近くに泊まった朝。
興奮しすぎて夜は眠れず、朝は4時半に目が覚めるしまつ。
仕方ないので早朝ドライブ。
三成マンホールを探したり、、
姉川古戦場跡(織田vs浅井・朝倉)を眺めたり、
賤ケ岳はちょっと遠くて行けませんでした。
近畿&中部地方って、本当に戦国にあふれてる!
今日はひたすら、三成めぐりです。
まずは、佐和山に登る!
佐和山城跡を見る!
龍潭寺という、彦根城主である井伊家ゆかりのお寺が出発点。
佐和山城って、どこが大手門だったか、
イマイチわからないのです。
関ケ原後、徳川によって徹底的に破壊されているので(破城)、
本当にほとんど、何も残っていない。
いろいろ調べてみましたが、
こちら(琵琶湖側)が大手門とする説もありますし、
反対側(鳥居本側)の説もあります。
よくわかりません。
この龍潭寺、井伊家の菩提寺ですが、
井伊直政だっけ?
関ケ原後、こちらで三成を弔ったようで、
三成の供養碑があります。
ちなみに、隣にある清凉寺は、島左近の住宅跡。
とても気持ちのいいお寺なのですが、
入口すぐから、サルの群れがお出迎えしてくれます。
危害は加えなさそうだけど・・・
200数十メートルの山なので、舐めていましたが、
佐和山登山、結構きついです。
危ないので、後期高齢者の母は、車で待機。
途中、ものすごく急だし、道幅が狭く、すぐ下は崖、という感じ。
土が乾燥しすぎて滑るので、高いとこ苦手な私は恐ろしかった💦
尾根沿いは両側崖だし、
サルがすぐ近くでキーキー鳴いてるし、
山には誰もいないし(頂上で一人だけ、会った)
怖いよう・・・
↑シロウトには、ただのちょっとした窪みにしか見えません。
怖いよ怖いよと思いながら頑張って登り、
やっと頂上、佐和山城跡へ!!!!
狭っっ!!!
こんなところに、本当に五重の天守があったの?!
山城シロウトには、よくわかりませんが、
あったのだそうです。
山城ってすごいですよね。
あんな急な傾斜を、石垣用の石や木材を運ぶんですから。
熊本人にとっては、城って熊本城がスタンダード。
戦国の城と、関ケ原後の城は、目的も形も全然違いますね。
光って映ってなかったけど、
はるか下に、彦根市街と彦根城がはっきりと見えます。
西には琵琶湖。
その向こうにはかすかに湖西の山々が見えます。
三成公も、同じ景色を眺めたのでしょう。
石垣が、たった2つだけ残されているのみ。
関ケ原後に彦根城が建てられたときに、使われたと聞いています。
ここ佐和山は、重要な土地だったようです。
佐和山城跡を見たい!という夢が叶いました。感無量。
その後、北へ向かい、三成くんのルーツを探る旅。
初めて見る琵琶湖は、広すぎて「海」でした。。。
三成と秀吉が初めて出会ったとされる、
米原市にある大原観音寺。
三献の茶の話で有名な場所。
こちらで奉公中に、
長浜城主になった秀吉が鷹狩に来た時に出会いました。
1200年代にこちらに移されたと書いてあったので、
もっと古いんですよね。立派なお寺です。
渡り廊下、的な。
ここで、水を汲んで、秀吉にお茶を出した三成くん。
「こいつ、めっちゃ気が利くぅ~」って感じだったのでしょうか。
長浜市の石田町、三成くん生誕の地へ。
三成くんが育った家の跡の東には、
伊吹山がそびえていました。
関ケ原敗戦後、伊吹山に逃げました。
立て直しを図るはずでしたが、
いろいろあって結局、田中吉政に捕らえられ、
三条河原で斬首。
捕まってから処刑されるまでの三成の最後には、
いろいろな逸話が残っていて、
どれも胸を打たれます。
今の価値観で、戦国を語ることはできませんが、
それでもやはり、
秀吉没後、
秀吉の恩をたくさん受けたはずの多くの武将たちが家康になびき、
裏切る中、
最後まで秀吉、秀頼のために戦ったみつなり君。
単純に、感動しますよねー
でも、戦いのたびに、庶民は悲惨です。
田畑は踏み荒らされ、
家には火をかけられ・・・(T_T)
みつなり君に興味が出た方は、
ぜひ、滋賀県が作ったこちらのCMをご覧ください。
もっと好きになると思います。
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