セッション、コーチングのお申込みが簡単にできるようになりました。カレンダーから日にちを選択、クレジットカードでの決済が可能です。一緒に元気なあなたを取り戻しましょう!

東海地方戦国をめぐる旅+旅ごはん①

この記事は栄養のことはなーんにも関係ありません。
ただの趣味記事です。個人的な備忘録。

歴史が好きでして、東海地方に行ってきました。
静岡、名古屋、岐阜・・・どれも初めての土地です。
一番の目的は、ずっと行きたかった桶狭間と岐阜城!

静岡空港へ降り立ちましたが、
着陸直前に見えた富士山に圧倒されました。
(三保の松原も見えましたよ!)

越すに越されぬ大井川・・・東海道難所の1つ

今まで、飛行機の上からしか眺めたことがなかったのです。
横から見る富士山の、でっかいこと、でっかいこと・・・

でかすぎだろー
拝みたくなる光景でした。

静岡空港に降り立ち、そのまま掛川へ。
目的は掛川花鳥園。
動物が異常に好きでして、
鳥も大好きなのです。特に猛禽類・・・
こちらは割愛しますが、鳥好きにはパラダイスでしたよ!🦉🐧

掛川は、「いも汁」が有名なのだそう。
自然薯を皮ごとすって鰹だしで溶き、味噌で味付けしてあります。
死ぬ前にはとろろご飯が食べたい、と思うくらい、
とろろかけごはんが大好きなのです。

味噌が効いていました。
美味しかった!
私は塩と醤油で味付けしますが、
味噌を少し混ぜるのもいいですねぇ。

夕方は、レンタサイクルで掛川城を見に行ってきました。

掛川城と言えば、山内一豊が有名ですが、
築城したのは今川家家臣の朝比奈氏。
山内一豊は関ケ原後、土佐を拝領し、
幕末の山内容堂に繋がります。

掛川、と聞くと、
「竜馬がゆく」で、竜馬が土佐郷士に向かって吐いた、
「やいやい、掛川衆」的なセリフを思い出します。
(竜馬は長曾我部系の郷士で、山内系の上士より下の身分)

掛川からレンタカーで愛知県へ向かいますが、
せっかくなので、途中の三方ヶ原に寄りました。

家康と武田信玄が戦い、家康が惨敗した、三方ヶ原の戦い。
家康は怖くて💩もらしながら浜松城へ逃げ帰ったらしいです。

400年たっても、💩漏らしたと言われる家康・・・
でも、ひどく負けて💩まで漏らしても、
あとあと日本一になったから、すごいですねぇ。
神として祭られていますし。
💩漏らしたくらい、なんてことないですよね。
「殺される!」と思えば怖くて💩も漏らすさ。

石碑が立っているだけです。
三方ヶ原って、名前からそういう感じがする通り、
広い高台で、なーーーんにもないところです。
もちろん、家もありますが、新し目の感じが多く、
なーんにもない原っぱだったのではないか?という感じ。

調べてみると、10キロ×15キロほどの、
広ーい、扇状地が隆起した洪積台地のようです。

ここで最強の武田騎馬隊と数でも劣る若い家康が戦ったのか・・・
と思うと、たまりませんね~

でもこのあと結構すぐ、信玄は病気で死んじゃうんでしたよね。

三方ヶ原から浜名湖沿いに遠州灘の方へ一気に南下。
遠州灘の広さにも驚きました。
180度、ずーーーーーーーーーーっと砂浜。太平洋。山がない。
九州には、こんな広さがありません。
宮崎に少しあるくらい。
本州って、広いなぁ・・・

風がすごかった。
長い、長い防風林が、ぜーんぶ内陸に向けて傾いてる。
まっすぐ育ちたいだろうに。

遠州灘を眺める絶景の道の駅で、(道の駅大好き)
桜エビとしらすの釜揚げ丼。温玉のせ。

本当に美味しかった!超美味しかった!
桜エビは乾燥したものしか食べたことがありませんでした。
釜揚げ初めて!エビの上品な香りと甘さが口の中いっぱいに!
買って帰りたかったけど、旅の途中。泣く泣く諦めました。
海の幸って、種類が豊富でほんと、最高。

次は愛知県に入り、岡崎に向かいます。
岡崎城は、家康が生まれたところ。
桜祭りのような感じで人が多かったので、
眺めるだけにして、近くのカクキューさんへ。

赤味噌=名古屋、と思っている方が多いのですが、

「赤味噌」と一言で言っても、いろいろでして、
①大豆と塩だけで作ったもの。
塩気が強めで、渋みもあり、酸味も少しあり、
独特の美味しさがあります。
豆味噌、とも言います。

②大豆に米麹や麦麹を混ぜて作る味噌を、
長期間熟成させると、色がだんだん黒くなり、
「赤味噌」と呼ばれるようになったもの。

①の、大豆と塩だけの赤味噌のうち、
岡崎城から八丁の距離にある「八丁村」で作られたものだけが、
「八丁味噌」と名乗ることができるのだそう。
今は、私が行ったカクキューさんとまるやさんの2社が残るのみ。

八丁味噌ソフトクリームを。
八丁味噌を使ったソフトに、八丁味噌パウダーがかかっています。
甘じょっぱくて美味しいですねえ。

そしていよいよ、名古屋へ向かいます。
その前に。
濃尾平野の広いこと、広いこと。
関東平野の方がもっと広いのでしょうけど、
これまた九州にはない、平野の広さ。
視界に山がない。(はるか彼方にはあるけど)
日本の中央は広いなぁ・・・

名古屋市に入り、桶狭間に向かいます。
オケハザマ!!!
OKEHAZAMA!!!!
日本史なんて全くわからな~い、興味もな~い、という人でも知っているはず。
関ケ原
桶狭間
壇ノ浦
日本三大古戦場、と私は勝手に命名しております。
(↑後で調べたら、本当にそうみたい!)

ご存じの通り、織田信長が今川義元を倒した戦いです。
今川義元と言えば、「海道一の弓取り」と言われたほど、
戦い上手、政治も上手な素晴らしい戦国武将。
なんか、テレビのイメージで、
白塗りして眉がマロで、いけ好かないイメージがありますが、
足利将軍家の傍流でもあり、家柄も素晴らしく、
めっちゃ強かったのです。
その頃は、領土の広さも日本一ではなかったかなー
兵力も、信長より圧倒的に多かった。
それを、ポッと出の、よくわからん武将、若き信長が倒してしまった。
今川25000に対し、信長は3000です。

・・・いろいろ書きたいところですが、これまでにして、
歴史の変換点とも言える、重要な戦いとなった、
OKEHAZAMA!!!

ずっと、この目で見てみたかったのです。念願叶う。
近くまで行くと、その辺一帯は住宅街ですが、
坂が多く、土地の起伏が複雑な地形です。

この地形と、直前の暴風雨が、
信長が今川勢に近づくのを隠してくれたようですね。

家康が待つ大高城へ向かうルートからはずれて、
桶狭間へ向かったのは、
最速で熱田神宮に向かうルートに変更したのか?!

「義元が桶狭間にいる」と知らせた兵士は、
その後、信長から最大の恩賞をもらったとか。
今川義元が打ち取られた場所は、古戦場跡公園になっています。

この辺を、信長勢3000が駆け回ったのでしょうねぇ・・・感無量

↓ここで打ち取られたそうです。

義元の首を洗った泉。
昔はもっと水が多く湧いていたそう。

桶狭間山に登ったり、
戦死者を埋葬したところに行ったり、
信長が勝どきを上げた場所にも行きたかったし、
家康(この時は今川方)が兵糧を入れた大高城や、
沓掛城にも行きたかったけど、
(桶狭間の戦いを巡ると1日かかりますね💦)
日が暮れそうだったので、それは次の機会にして、熱田神宮へ。

熱田神宮は、三種の神器の1つ、草薙剣を祭ったところ。
(草薙剣は壇ノ浦に沈んだのですが)
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、
ヤマタノオロチの尾から出てきた剣です。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が何か色々戦っているときに、
火攻めを受けたのを、剣で草を払って向い火で対抗して勝ったので、
草なぎの剣、と名づけられました。
(子供の頃、マンガ日本の歴史で読んだ)

その後、滋賀県の伊吹山(石田三成が逃げた山ね)で誰かに負けて死んじゃったので、
日本武尊の奥さんがこの剣を祭ったのが、熱田神宮の始まり・・・とか。

で、この熱田神宮。
信長が桶狭間の戦いに向かうとき、
熱田神宮で戦勝祈願をしたのだそうです。
その後、桶狭間で勝ったお礼に、塀を寄進したので、
「信長塀」として残っています。


熱田神宮、とっても広くて気持ちの良いところでした。

名古屋と言えば、味噌煮込みうどん!
遅い時間になったので、繁華街の、遅くまで開いているお店を検索して
行ってみました。

「にこみや」さんだったかな?
繁華街の小さなお店ですが、お客さん結構多い。
手打ちの味噌煮込みうどんです。おじいちゃんがお一人で作っておられました。

実は味噌煮込みうどん、そんなに期待していなかったのです。
旅行や仕事で名古屋に行って食べたという人は、大抵
「そんなに美味しくなかった」「苦手だった」
と言うから。。。。

赤味噌が、好みが分かれるんでしょうね💦

でも、これはめっちゃ美味しかった!
私は好きでした。
黒い汁ですが、くどくなく、あっさりしています。
本当は、名古屋コーチン入りの鶏味噌煮込みうどんを注文したのですが、
間違えて普通の味噌煮込みうどんがやってきました。
(お詫びに漬物をもりっとつけてくれました)
名古屋コーチン、食べてみたかったけど、
美味しかったから、まあいいか。

そして、ライトアップされている金のシャチホコを眺めて、
ホテルに帰りました。


名古屋城、大きくて美しかったー。
金のシャチホコは、家康の時代に載せられたらしいですね。

名古屋人たちが、ずら~っと路駐で花見(宴会)してたのも、すごかった。
捕まらないのだろうか・・・


へつづく









コメント