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和歌山県九度山~流罪の真田昌幸をめぐる旅

今年の夏、和歌山県の九度山へ行ってきました。
今回は食にも栄養にもなんの関係もない、
趣味の歴史巡りの記事ですので、興味がない方は飛ばしてください。

1泊2日の弾丸旅です。
九度山は
橋本市の近く、高野山のふもとにあります。
「山」とついていますが、山ではなく町の名前です。



私の好きな戦国武将の一人、真田昌幸。
大河ドラマ「真田丸」の真田幸村(信繁)の、お父さん。
大河では、草刈正雄さんが演じておられました。
「ではおのおの、ぬかりなく」が名ゼリフ。
あのドラマ、草刈正雄さんが全部持っていきましたねー。
いやーかっこよかった。素晴らしかった。
草刈正雄さん、大好きな俳優さんです。

で、真田昌幸は、新潟県上田市が本拠地。
関ケ原で西軍に味方し、上田城で徳川秀忠をさんざんに翻弄しました。
が、結局西軍は負け、
家康から、息子と一緒に高野山に流されたのです。
(もう一人の息子信幸は東軍に味方したので真田は残りました)
でも高野山は冬寒いので、
ふもとの九度山で過ごした、というわけ。

いつかは上田に帰れる・・・と希望を持っていましたが、
結局許されることなく、
1611年、九度山で亡くなりました。64歳。
その後、大坂の陣での息子幸村(信繁)の活躍は、
ご存じの方も多いかと。



九度山という名前は、、、
中国から帰ってきて高野山を開いた弘法大師。
弘法大師は香川県の出身です。

せっかく日本に帰ってきてなんだか偉くなった息子に会いたい、
香川県在住の弘法大師のお母さん。
はるばる高野山まで弘法大師に会いに来ます。

が、
高野山は女人禁制。
仕方なく、ふもとの慈尊院というお寺に滞在します。
たしか、お母さん、結局亡くなるまでこのお寺にいました。
弘法大師はお母さんに会いたいので、
月に9度、高野山を降りて慈尊院にいるお母さんの元へ。
月に9度母に会うって結構な頻度だと思うのですが(笑)、
この慈尊院、高野山の事務所的な役割もあったそう。



ということで、この辺を「九度山」と呼ぶようになったとか。

熊本からは、新大阪まで新幹線で、
(田舎者の私は、新大阪駅の人の多さに驚き、
そこから30分南下してもまだビル街なのにまた驚き)
その後レンタカーで和歌山の九度山まで南下しました。

途中に寄りたかったのは、
東大阪市にある司馬遼太郎記念館。
司馬遼太郎先生は、私の歴史が好きになった原点でもあります。
(もうお一人は横山光輝先生。マンガですね)

記念館の中は撮影禁止でしたが、
隣のご自宅は外から眺めて写真OK。
これはご自宅の表札。

これは書斎。
ここでいろんな名作が生まれたんですね!

そして、東大阪から和歌山に南下する途中で、
楠木正成の出身地、河内にも立ち寄ります。

ご存じ、南北朝時代(鎌倉と室町の間)、
後醍醐天皇側についた超忠臣、というイメージですね。
大河ドラマ「太平記」では、武田鉄矢さんが好演されましたねー。
ちなみに足利尊氏役は若き真田広之さん。
かっこよかったですねぇ・・・

楠木正成は、湊川の戦いで亡くなりましたが、
その首は、出身地の河内に帰してもらえたそうです。

千早城跡も見たかったけど、
時間がなくて泣く泣く断念・・・

橋本市を通って九度山へ行く途中、
こんな看板を発見。

国道に昇格したのがうれしかったのでしょうね。

うわぁ!念願の九度山!

非常にのんびりした、
昔ながらの街並みが残る素敵な街です。

まずは、、、
昌幸が九度山で過ごした家跡にある、お墓に参ります。

上田に帰りたかっただろうなぁ。。(´;ω;`)ウゥゥ

これは、近くにある「真田の抜け穴」。
ここから大阪城まで続いているとか・・・
こういうのは信じた方が面白いですねぇ。

真田幸村が大阪の陣の際に築いた大阪城の出城である
真田丸近くにも、
ちゃーんと「抜け穴」がありますよ。
こういうのは、信じた方が面白いですねぇ。



九度山には、真田ミュージアムがあります。


真田昌幸宛ての、武田勝頼(信玄の息子)からの手紙。すごい!!

秀吉からの手紙。

真田昌幸の字って、なんだか自由です。

というか、墨ってすごいですね。
400年たっても、ほとんど色あせない。ちゃんと読める。

真田の家紋、六文銭の入った鉄砲の玉入れ。

これが世界で一つしかない、織物の紐、真田ひも。
めちゃ丈夫なのが特徴の紐です。
こういう感じで使っていたんですね。

真田紐は、昌幸&幸村が九度山で蟄居生活をしていたときに、
お金に困って、
この紐を開発して売り、お金を稼いだ、と伝えられています。

九度山では、この真田紐を織る体験ができるのです。
予約して行ってきましたよー

大河では、腰にまきつけてやってましたね。
名人が織るのを見ながら教えてもらい、私もやってみます。

紐を押さえる力が強すぎたようで、
ぎゅうぎゅうに目の詰まった紐ができました(笑)
ストラップにしてくれました。

チマチマした手仕事大好きなので、
とっても楽しかった!!

雰囲気のある旅館に一泊して、
帰りは大阪城近くの、真田丸跡を見ました。

近くと言っても、歩けばかなりの距離。
当時の大阪城って、本当に広大だったんですねー

真田丸跡と言っても、
大阪の住宅街の中でして、
当時をしのばせるようなものはなく、
碑が建っているくらいです。

ただ、その辺を歩いてみると、
坂の傾斜だったり、
土地の起伏が良く分かって、
なんとなく、こういう感じだったのかなーと
想像がふくらみ、わくわくします。

この真田丸から、昌幸の息子、幸村(信繁)は、
茶臼山の家康本陣の方へ、向かっていったのか・・・
家康は死を覚悟したくらい、追い詰められたようですね。

でも、戦い疲れて休んでいたところを、
徳川方に討たれたとか、
自害したとか、
どっちでしょうねー

ということで、
九度山~真田を巡る旅
でした。

次こそは甲府へ行きたい!上田へ行きたい!沼田にも行きたい!
信玄と真田を巡る旅の続きをしたい!!
全部回ったら4~5泊しないと足りないので、
どこをメインに行くか、ずーっと迷っています。

まずは、信玄の甲府~諏訪かなー

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